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中国貴州省とそこに住む少数民族の事を主に書いてます。また、希望工程を通して見た中国農村部の教育の現状や中国の農村の様子についても書いてます。


by sakaijiu1
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貴州の料理はなぜ辛いか

「中国辛辣文化与辣椒革命」によれば辣椒(唐辛子)が中国に伝わったのは、明朝の末にアメリカから中国へ伝えられたのが最初だそうです。最初は鑑賞用として入ってきて、まず、広州、広西チワン族自治区、江西、貴州、湖南などに広まり、その後中国西南地方を中心に広まったとの事。
そして、清朝の初めに、貴州で辣椒が食用として食べられたのが最初だそうです。その後、貴州省の近隣各地に食用として辣椒が利用されるようになったとの事。元々塩が少ない土地である貴州では、塩の代わりとして辣椒が食用として利用されるきっかけだとしています。康煕年間には「土苗用以代塩」との記載もあり、乾隆年間(1736-1795)には貴州省では辣椒の大量消費が始まり、その後雲南省や湖南省などで辣椒が普通に食べられるようになった。19世紀初めの道光年間には、貴州人は毎回の食事に辣椒を用いるといわれ、19世紀半ばになると貴州人は何時も辣椒を食べているとまで言われるようになったそうです。
写真は貴州省黄平県楓風村で食事をご馳走になったときの食卓の様子。唐辛子の入った碗がテーブルに置いてありその碗の調味料に付けて食べます。
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南開郷の祭りでの食事。こちらは料理にかなりの唐辛子が入っているのに、さらに唐辛子の入った椀で唐辛子をつけて食べる。やはり、唐辛子入れの碗が置いてあります
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辣椒が中国に伝わる以前には、中国では花椒、姜、サンシュユ(茱萸)などが調味料として食されていたそうで、特に花椒は中国では重要な位置をしめており、花椒は別名川椒、巴椒、蜀椒などとも言われ長江流域や黄河の中下流域に幅広く見られ、食用として調味料として利用されていたそうです。
また、中国では、古代にはお茶を飲むときに、花椒、姜、桂が加えられていたとの事。(中国古代普遍有煮茶加姜椒桂)
雲南省民族学院に留学していたとき、学生食堂のおかずが唐辛子で真っ赤だったのを懐かしく思い出します。雲南省に行く前は河南省鄭州に住んでいたのですが大学の食堂などでは、料理には唐辛子は全く使っていませんでした。雲南省では一般の食堂にもテーブルには必ず唐辛子が置いてありました。また、辛油も置いてあり雲南名物過橋米線や米線を食べる時には、皆唐辛子か辛油をふりかけ食べていました。
貴州では「羊肉粉」や「牛肉粉」と呼ばれる米粉で作った麺が有名ですが、雲南などは違い最初から唐辛子がたっぷりと入っている場合も多い。貴州省では、テーブルに酢が置いてありますが、これは余り辛い場合に酢を入れると辛味が少し和らぎ、味がマイルドになるからです。
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これも貴州名物の腸王麺です。こちらの麺は米粉ではなく小麦で作った麺。
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上海や北京の大都市には、最近貴州料理の店も多いらしく、民族衣装を着た店員さんが店頭で民族楽器を演奏したり、店内できらびやかな苗族の衣装を身につけサービスしたりで結構人も入っており、人気もあるようです。四川菜館や湘菜館、毛肚火鍋などの四川料理や湖南料理などは今では中国では、現在ではどこでも見られます。四川料理や毛肚火鍋の大手チェーン店は全国規模で店を展開しており、どこでもその料理味わうことができます。
西江千戸苗族の李老師の宿に宿泊したときの写真で、やはり唐辛子入りの碗がテーブルに置いてあります。
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俗に「四川人不怕辣, 湖南人辣不怕, 贵州人怕不辣」と言うそうですが 、「貴州人怕不辣=貴州の人は辛くないのが怖い」、これらの食事を振り返るとそのような言い方がよく分かるような食事の数々です。
なお、貴州の料理は「麻」ではありません。「辣」です。ここが四川菜と違う点のようです。
この記事のなかで大変興味深く、そして非常に面白く読んだのは、中国では特に辛い食文化圏から近代、現代中国の歴史を彩る多くの人材が出たことが、中国全土に「辛い食文化」が広まった理由の一つではないかとの見解を述べていることです。陳獨秀、張愛萍、陳毅、郭沫若、曾国藩、魏源、宋教仁、陶鋳、李立三、向楚、毛沢東、朱徳、胡耀邦、邓小平,彭德懐などは皆四川省や湖南省出身です。

北京に移り住んだ現代史を彩るそのような人達が故郷の辛い料理を懐かしく想い、食べたいので北京にある有名なあの四川飯店を造らせたというような内容の記述を何かの本で読んだ記憶があります。その当時ですから、本場の四川料理とはやはり少しは違ったとも書いてあった記憶があります。

「中国辛辣文化与辣椒革命」の中で著者は毛沢東はかって「不吃辣子不革命来」と言ったそうで、その著者も「辣椒與革命看来還真有関係了」と記述してます。
by sakaijiu1 | 2009-10-09 01:54 | 貴州省と少数民族